デッサンは絵の上達には必要不可欠な厳しい修行のイメージがありますが、この発想は非常に悪影響を及ぼします。美大受験の印象が強いのでしょうか?日本だけに蔓延しているルールなど放棄してしまいましょう。
デッサンで学べることでよく言われるのが「形を正確に取る」、「トーンをしっかり把握できるようになる」などです。ではなぜ中学生の頃にすでに完璧なデッサンをしていたピカソや他の巨匠達は生涯を通してデッサンをやめなかったのでしょうか?
もう一つヒントになるのがレオナルド・ダ・ヴィンチです。彼は膨大な数のデッサンを残していますがどれも作品のような雰囲気ではありません。
それらのデッサンはまるで目の前に起きている現象をよく観察して描きとめたメモのようです。
丸いものがくっついたようなイラストです。誰もがわかる簡略化されたものを描きたがります。
では実際の雲を見てみましょう。イメージとかなりのズレがあると思います。
人は知らないうちに思い込みで描いてしまう部分がたくさんあります。想像した以上にこの思い込みは根強く、すぐには外れません。
実際によく観察して、紙に描くことにより初めて腑に落ちるのです。そして自分が記した観察結果と現実とのズレを修正していきます。
生まれてから刷り込まれ、シンボル化されたモノへのイメージをデッサンで根こそぎ取り除いていきます。これがデッサンの大きな役割です。
この感覚が身に付けば紙は究極の先生になります。紙と鉛筆があれば充分です。
画材の細かい使い方や微妙な違いなど小手先なことははだいぶあとでいいでしょう。
リンゴは丸い!?
体験レッスンでリンゴを描くと皆さん整った丸いものを描きます。しかし、リンゴは自然からできたものでよく観ると意外とイビツです。
そういった歪んだ形にリンゴの美しさが表れたりします。
リンゴの例え話のように体の毒(思い込み)を消すプロセスはまだ見たことのない素晴らしい発見がたくさんあります。
シンボル化されて見落としている部分にこそ本当の美しさや豊かさがあります。この体験を楽しめたならデッサンがやめられなくなるでしょう。
巨匠達もきっとデッサンが楽しかったか、又は自分が観たモノへの理解が正しかったか紙に描いて確認していたのかもしれません。